8月9日は長崎に原爆が投下されてから75年になります。
戦後生まれの私達は二度と戦争を起こさない様に
戦争の悲惨さを伝えていかなけれいけないと思うこの頃です。
センニンソウ
(仙人草)キンポウゲ科
別名が「ウマクワズ(馬食わず)」←もう有毒だと気づきますね。
和名は果実につく綿毛を仙人の髭に見たてたようです。
十字架の白いお花
きれいですが、あなたも有毒ですか・・・残念!
秋になって果実を見るのも楽しみです
8月5日(水)撮影
(仙人草)キンポウゲ科
別名が「ウマクワズ(馬食わず)」←もう有毒だと気づきますね。
和名は果実につく綿毛を仙人の髭に見たてたようです。
十字架の白いお花
きれいですが、あなたも有毒ですか・・・残念!
秋になって果実を見るのも楽しみです
8月5日(水)撮影
少年
この日 少年は見ていた
長崎の少年は見ていた
一九四五年八月九日 午前十一時二分に突如
閃光と轟音と爆風とともに
停止した時間の中で―――
灼熱と悲鳴と臨終のうめきとともに
廃墟となった街の
うすら赤い空の下で―――妹をおぶい
直立不動の姿勢
この世の断末魔を
見届けるようなまさざし
瞬きもせず涙も見せず
ややもすれば倒れかねない
わが身をしっかりと
はだしの足で支えて少年は見ていた
焼けただれ皮をむかれた
無数の死体が
山のように積まれている
死体は次々と焼かれていく
死せる人たちは
火となり煙となり
星なき空へ立ちのぼっていく少年は見ていた
わが父わが母が
今まさに焼かれている
わが父わが母の死体が
苦悶し嗚咽し哀願し
身をよじり身をくねり
形のない炭となっていく
炭となって燃えつきていく少年は感じている
わが背に眠っている
妹は死んでいるかもしれない
しかし少年は思う
そんなことがあってたまるか
死と死の間をかいくぐり
逃げまどい這いずりまわり
このぼくが必死になって
守りぬいてきた妹が
死ぬなんてことが
あってたまるか!
この地獄のいったい何処に
妹を介抱する場所があるだろう
どこにある?どこに?
さがさねば・・・・・・
急いでささねば・・・・・・浦上川は
死体であふれかえっていた
街という街は
瀬死の人々がうずくまっている
それでもどこかに
妹を介抱する場所があるはずだ
もし死んでいたとしても
生き返らせる場所があるはずだ
急がねば・・・・・・少年は
父母の昇天を見届けると
丁寧なお辞儀をして
その場を立ち去った
妹を―――
妹を―――
妹を―――
コメント
コメント一覧 (9)
パワーを感じるしきれいなのに有毒ですか~
なるほどキンポウゲ科ですから理由ありですね。
キビタキは前から見てもきれいだし
後ろ姿が独特なんですね。こういう配色は中々なさそう。
それに鳴き声が良いとなったら。。三拍子揃い👀
いつか見てみたいものですが結構出合うのは難しそうですね。
徒然散歩
がしました
今日も黙祷しましたよ。
今この写真は有名ですから知っていますが、今夜じっくり読みましたなぜの裏焼きしたのでしょうね
裏から焼いたので少年のボタンが女性の服のようになっています。
表情の違いがあるのでしょうか?
自分も高校生の頃は蔵で写真を焼いていました。
急いで間違って裏からプリントしたことはありました。
コロナに負けずに頑張りましょうね。
徒然散歩
がしました
キビタキ、いつだったか新宿御苑で低い木にいました。その子はいつもそこにいるそうですが、その他は、かなり高い木でうたっているところしか見た事なく、私が撮った写真も、徒然散歩さんの最後の写真みたいな構図ばかりです。後ろ姿とか力作、素晴らしい!
徒然散歩
がしました
徒然散歩
がしました
高知の田舎から思っている東京や神奈川とは全く違う一面があることを知りました。むしろ自然に対しては都会の人が敏感に思えることすらあります。
そんな都会も、今は多くの場所で森林の猛禽類オオタカの営巣が報告されたり、カワセミが人によって寄せてこられたり、自然のとの接し方には賛否両論あれど、今の私達はその方法を忘れ去っている人が多い以上、試行錯誤をくり返し先ずはアプローチしてその貴重さを再認識することも時には必要だと思っています。知らないままに傷つけ失っていることは、きっとそれ以上に多いはずですから。
NHKの自然番組で高尾山のキビタキやアサギマダラの飛来を告げるものを見ました。両種は鳥と蝶の違いはあれど、互いに渡るというキーワードによって大きな季節移動をします。ですからそれを見る人に季節感を与えます。それがまた人が生きる良き刺激ともなります。
生き物の成長段階は総じて難解な事が少なくありません。進化の段階で似た歩みを共有し似た特徴が種を越えて現れても全く不思議ではないからです。
キビタキとオオルリの♀、巣立ち直後の幼鳥もまたよく似ていますよね。キビタキ♂幼鳥の色づきはオオルリ程は早くはないはずです。喉のオレンジ色は成熟度の指標であり、また野鳥の羽毛は観察者の見る角度で大きく異なりもします。
でも大切なことは自身が何を判断材料としてどう感じるかまで掘り下げてみることが、実際に自然と接する価値だと思っています。
徒然散歩
がしました